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立花隆先生と緑慎也くん

11/4
 新聞を読んでいたら、下の方に例によって広告が出ていて、山中伸弥教授の著作もあった。そして、聞き手に緑慎也とあった。じーんとした。
 僕はプロフィールにも書いているけれど、1995年頃、今から15年と少し前、テレビやラジオで物凄く仕事をしているころ、このままじゃダメだ。書かなくちゃだめだ。自分が納得できる原稿の仕事をしなくちゃダメだと思っていた。幸い、仕事はちょこっと入るようになってきていた。月刊誌「現代」といった総合月刊誌でルポルタージュなんかも書かせてもらい始めたのだ。しかし、僕は自分がまったくジャーナリズムのことを勉強せずに業界に飛び込んでしまったことにいらだちも感じてた。
image-1_20121105150746.jpeg  そこで、英語と小論文と面接の試験を受けて、東京大学の社会情報研究所の学生になった。ここは元々新聞研究所として学生時代から意識していた場所だった。面白かった。東大助教授になりたてもカンサンジュとか、社会学者として勢いのあった吉見俊哉、メディアに出ている人たち、その経営者も山ほどきて、20〜30名くらいの小さな教室で授業とディスカッションで大いに刺激を受けた。教員だけでなく、内外の学部生も院生もいて話すのが面白かったので、僕は放送局の仕事の合間を塗って通っていた。忙しくてたまらないなあと思ってもいたけれど、同じ頃、ちょうどミュージシャンの小椋桂さんも東大で再び勉強してると記事が出ていて、実際に、何回か赤門前の横断歩道を渡っているのに遭遇して、あの超多忙小椋桂さんも大学で勉強してるんだ、俺が文句言っちゃいけないなと思ったものです。
 あと、東京大学の図書館はホントに便利でずいぶん活用させてもらった。田原総一朗さんのドキュメンタリーの構成の仕事をする時なんかにも大いに使わせてもらったものだ。学食はとても安かった。
 ちょうどその頃、東京大学の教養学部で立花隆さんが授業を持つことが報道された。僕はそこには、もぐりこんだ。学費を払っているからまあいいだろうと言う感じ。立花隆さんの本は、若いころから何冊も読んでいた。仕事で数年間関わった、同じ様な仕事をしているはずの某氏なんかと比べると段違いの本物だと思った。
 20歳前後の若者に混ざって授業に出続ける俺。そりゃー面白い授業だった。立花さんは、インタビューの仕方ということで、大江健三郎を教室に呼んで目の前で対談してみたりするんだもん。立花隆さんは脳についてとか、自然科学系のことも授業にどんどん取り入れてくれて、まあ、そりゃ面白かった。
 そして、次はやらせてみようということになるんだな。これが。
 学生で参加したい人にに「20歳のころ」として、いろんな人にインタビューして本にしようという話になってプロジェクトが動き始める。僕はそこにも混ざった。東大以外の学生も立花さんはオープンに受け入れて、プロジェクトは動き始める。というわけで、僕は30代の半ば、立花先生の有名な猫ビルにも何回も行ったし、執筆用に別にもってる小部屋にも行った。立花さんは、ひとり30代半ばの男が参加していることを不思議そうにみていたし、誰かが僕が何者かも言ったらしくて、いろいろと尋ねられて、ものすごく緊張した。自分に自信がなかったんだな。多くのインタビューが「20歳のころ」として新潮社から出版された。
54708154061n.jpg こうして、僕は日本でダントツに一番のジャーナリストである。知性と文章力と一般性を兼ね備える立花隆さんのそばに1年以上も張り付いた。僕は何か新しいことをやろうと思ったら、自分がこの世で一番という人のそばにいって教えを乞うということにしてきた。最低1年、できれば2年くらいそばにいて一生懸命やると何か分かってくるもんだから。演劇はすごいと思った人のそばを辛くて半年で逃げ出したから中途半端になってるんだよな〜。もとい。立花先生のそばにいたおかげもあって、ジャーナリストとして、物書きとして覚悟しなくちゃいけないレベルっていうか、目指すべき水準というものも「何となく」分かった。それがあったからか、月刊誌で山ほど描かせてもらって、時には脳化学最前線みたいなルポも書かせてもらった。面白かった。僕は一時期原稿の〆切が月に50回くらいある生活をしていたけれど、それは立花先生の影響も強いと思うのです。
 僕が後悔しているのは、立花さんが、南仏にもってるワインシャトーを売り払うから、最後に何人かで出かけたい。一緒に行かないか?って誘ってくれたんだけどいかなかったこと。その後も当時の学生が同窓会をやるって時々メールもくれるんだけど、行ってない。今度行ってみようかな?
 冒頭の緑慎也に話は戻る。今回ノーベル賞を取った山中さんの業績が面白くて、数年前から興味をもってきたんだけれど、今回の受賞でまた山ほど本が出ているのでもう1冊読んでみようかなと思ってた時だった。そして、その広告、山中伸弥さんのインタビュー本の聞き手にあった緑慎也の名前。
 緑くんは、前述した立花隆先生のプロジェクトの学生のひとりだった。とても熱心なひとりだった。
 何か懐かしい。立花さんがやるような仕事を緑くんはやってるんだなあ。僕はもっと頑張らなくちゃと強く思ったのだ。
 いまいろんな本のプロジェクトが動いている。
 まだ、決まっていなくて、やってみたいもののひとつが、一般向けに日本の歯科医療の最前線について書いてみたい。歯科医療は、いまさまざまなアプローチがあって、患者が診療方法とコストを考えられる分野だと思うから。出版関係の人と会うと話してみるんだけど、みんな、何で俺がそんなこと言うのかって不思議そうな顔をするんだ。きっとそんなことを書いてみたいと思うのは、立花隆先生の影響。それから、小さなベンチャーに投資する方法みたいな本も書いてみたい。これも影響されてるな。
 若い人に申し上げたいのは、何か新しいことをやってみたいと思ったら、自分が偉いと思う人のそばで2年くらいすべてを投げ出して修行するのが一番いいということ。金はもらえない。だけど、中長期にみると圧倒的な経験になる。自分をブレイクスルーさせる手っとり早い方法だ。そんなことも言いたくて書いてみた。
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佐藤治彦 Haruhiko SATO

Author:佐藤治彦 Haruhiko SATO

さとうはるひこ Haruhiko SATO
経済評論家+α
詳しいプロフィールはこのブログのカテゴリーからプロフィールを選んでごらん下さい。経済や金融を中心に90年代初頭から活動してきました。40代初めにセミリタイアし今は本当にやりたい仕事だけを選んでやっています。また、演劇活動にも力を入れました。台本書きや俳優としての仕事などもお待ちしています。
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