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熊井啓監督のこと

12/24
 人の死を受け入れることができない。2002年5月2日に、母が亡くなったあと、どうしても葬式に行けなくなった。そんな時は花をだしてごまかしているのだが、本当はいけない。行かなくてはいけない。これは、来年くらいには何とかしなくてはいけないと思っている。今年も本当は行かなくては行けないお別れを言わなくては行けない人の葬式にいけなかった。そのひとりが熊井啓監督なのである。
 学生時代に何か大人が集まって面白いことをしている。俺もやってみたいなあということでオーディションを受け参加したのが故遠藤周作氏の主宰していた劇団樹座。そして、遠藤先生の命により参加を命じられたのが氏の原作によって映画化された「海と毒薬」である。もう20年以上前の作品である。いまは新国立劇場になっている初台にあった古いビルがロケの中心地でそこに2週間通ったりしていた。そこで、奥田瑛二さんや渡辺謙さんとよくお話させていただいた。僕はメインキャスト二人と同じ医学研究室の学生という役柄で、頭も五分刈りにして(なぜかエキストラに毛の生えたくらいの役だったのだがメイン俳優さんのいる部屋にいることを許されていた)何か映画の最初30分くらいにちょこちょこ映っている。
 黒澤映画や小津映画に出た超名優の千石規子さん、黒澤監督の「どですかでん」にでている牧よし子さんらもいて黒澤監督の話をきくのがとても面白かった。成田三樹夫さんも、岸田今日子さんもいたなあ。まあ、いろいろと思い出話はあります。奥田さんと渡辺さんと昼食を外に食べにいったら、奥田さんが女性に囲まれてサイン大会。まったく普通の慶応の学生だった僕までサインしちゃったことがあったりとか。
 学生で参加した僕は、廻りの人に本当に可愛がってもらいました。出来るだけ映るようにいろんな配慮をしてもらったり、スタッフの人に、ラッシュで佐藤さん大受けです。役者さん、食っちゃってますよお、と言われたのを当時の僕は褒め言葉と思ってしまったりしています。素人とはいえ、僕が今でも本当に申し訳ないなあと思っているのは、あのバン妻の息子である名優田村高広さんが病室を廻る回診シーンにも映っているのですが、何とおいら一瞬カメラ目線しちゃってるんですよね。それがそのまま本編に使われています。ホントに申し訳ないと思っています。これは監督自ら注意するように後で言われました。
 僕はそのまま銀行員に、しかし、7年くらいしたら、完璧にテレビに出る人になっていました。熊井啓監督は、僕が「トゥナイト」に出ている時、生放送中に放送局に電話してきて「深い河」に出ませんか?と言われて、プロデューサーと交渉し3週間休みをとってインドまで言ったこともありました。そこでも、いろんな名優、特に井川比佐志さんや秋吉久美子さんと何回もお話する機会があったのを今でも覚えています。まあ、一番一緒に遊んでいたのは、沖田浩之さんなんですけどね。沖田さんは、ギャラをどうやって交渉したかまで話してくれました。沖田さんは僕がもっていってた「坂の上の雲」をいたく気に入り持って帰ってしまったり、ヘンテコな地元の洋服屋に連れて行き僕にシルクのシャツを作らせたり(おそらく誰か人を連れて来ると店の人にいって何かあったんだと思います…笑)頭が壊れるほど飲んだりと。まあ、遊びました。
 熊井監督とは撮影の場所だけでなく、ロンドンやニューヨークでもご一緒したり、妻の熊井明子さんがロンドンに来た時にはオープニング直後の「ミスサイゴン」を観に行ったり、まあ、いろんなことがあったんです。ニューヨークにいる時に来てくれた時は、監督は文化人が泊まることで有名なアルゴンギンホテル(確か)に宿泊されたと思うのですが、当時、ニューヨークで一般公開されていた黒澤監督の「夢」という映画はどういう評判?と気にされていたりとかね。確か、モントリオール映画祭の前後に寄られたんだと思うのですけれどね。
 そんな良好な関係も一度壊れたことがあります。「深い河」の撮影にいったときのこと。当時メディアで売り出し中だった僕にとってみると3週間も休んで出かけるというのは、とても大変なことだったんです。特に「トゥナイト」は入れ替わりが激しく、ちょっとでも手を抜くとすぐに降ろされる。僕も3週間の休みのあとはしばらく出番がなかったこともありました。もうサラリーマンでもありませんから、収入も激減する。
 それでも、映画好きの僕なんで、リスクを取り撮影に参加させてもらったのです。ところが、インドのベナレスに入ってからいっこうに自分のメインのシーンの撮影が予定に入って来ない。僕は相当とアピールしたんです。何と撮影しないまま帰国の日になってしまった。結局は何か出ているのか出ていないのか分からない感じになってしまったんです。監督はプロの俳優だけでなく生きてきたリアリティのある素人を美味く使うことが好きで、監督お気に入りの素人さんがいて、それはお年寄りの医者さんだったのですが、僕はそのお世話係。また、撮影日誌も書いて東京に送るようにと言われ、頑張って書きました。それなのに、結局は自分のメインのシーンの撮影はなしなんだと思うと、それがとても残念で監督との関係は切れてしまいます。
 数年たって、監督がどんな執念で映画を撮っているかをそれまで以上に感じるようになり、自分が子供だった、些細なことにこだわった、いい映画を作るというよりも自分のことが座標軸になってしまったと詫び状をだしたことがありました。
 その手紙をだしたあと1回監督とあう機会があった。それは、遠藤周作先生の1周忌だったと思うのですが、三田の中国飯店(学生時代によく通ったなあ)で開かれた時に来られていて、監督自ら僕のところに歩み寄って「ああいう手紙を出せるというのはすごいことだ」と言ってくれました。お酒をどんどんついでくれて、楽しく話しました。それが最後でした。ゴールデン街で相当暴れている話などは何回も噂にきき、どこか夜の街で会うのは面白いぞと思いましたが、僕自身が監督の暴れている姿をみたことがありません。
 熊井組の撮影現場でのスタッフ、キャストを含め執念で撮影している現場の空気を今でも覚えています。撮影監督や美術監督などスゴい人ばかりだったのです。自分の出番ではありませんでしたが、「海と毒薬」の手術のセットは映画好きの僕にぜひ見においでと言われて見にいきました。半分オープンなところに作られたセットは、手術室の床を八百屋にして、水を常に流し、血が上手く流れるように工夫した話や、実際に手術に使う豚の肌も見せてもらったり。白黒の美しさも力説されていました。潤沢な予算があるとは言えない現場でも一切の妥協はせず執念で映画を作る姿はいまでも鮮明に覚えています。また、いつか監督の現場に行きたいなと思っていたのでホントに亡くなったのは残念です。
 そんな思いで昨日12月23日に教育テレビで放送された熊井監督の追悼番組を見ました。とても良く出来ていたのです。監督の一番こだわったところに焦点を絞った番組でした。それでも、僕は熊井監督が、娯楽大作も撮ったことももう少し拾って欲しかったなあと思います。例えば、「黒部の太陽」はものすごい人間ドラマでした。それに出演した三船敏郎さんの遺作は「深い河」です。また、日活時代には、確か石原裕次郎映画の台本もかいているはずです。それが、石原裕次郎と石原プロ渾身の代表作「黒部の太陽」につながるはずだし、「君の名は」だったかなあ?確か岸恵子さんの作品についても脚本をかいているはずで、それが、十何年ぶりかに岸恵子さんを映画に復帰させるきっかけとなった「式部物語」につながったと僕は思っています。 重い作品をとられる監督ですが、その分、俳優は実力とスター性を好んだ。日活出身らしい監督のキャスティングだなあと思ってみてました。それが番組では社会派以外の作品群で紹介されたのが「忍ぶ川」だけだったのがちょっと残念です。
 映画評論家の白井佳男さんが社会派だけではないという部分を感じさせるコメントをされていたのですけれど。(白井さんにもお世話になったなあ)
 
 いつか、監督のご自宅にご焼香に行きたいと思っています。「海と毒薬」の撮影現場でなぜかもっていた玩具のようなカチンコにサインしてもらったものを今でもリビングに飾っています。1985年のことでした。ご焼香に行く時はそれを持って行ってこれにサインしたの覚えていませんよねえ?と言おうと思っています。
 
 いまは友人知り合い友達がもう死ななないようにとそればかり思って過ごしているのです。何か変ですよね?でも、何か葬式に行けない佐藤です。
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佐藤治彦 Haruhiko SATO

Author:佐藤治彦 Haruhiko SATO

さとうはるひこ Haruhiko SATO
経済評論家+α
詳しいプロフィールはこのブログのカテゴリーからプロフィールを選んでごらん下さい。経済や金融を中心に90年代初頭から活動してきました。40代初めにセミリタイアし今は本当にやりたい仕事だけを選んでやっています。また、演劇活動にも力を入れました。台本書きや俳優としての仕事などもお待ちしています。
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 佐藤治彦に対する仕事の依頼は、佐藤治彦まで直接ご連絡頂ければ対応いたします。連絡方法は、Facebookの佐藤治彦個人のページからメールで送って頂くのが一番だと思います。もしくは、Twitterを通して連絡を頂ければこちらから連絡します。
 また、マネージャーなどが入った方がいい場合やなかなか連絡が取れない時などは、CAST+ キャスト+ 東京都港区赤坂 6-4-19-5F 電話03-3589-8011(担当田嶋)までご連絡いただいても構いません。ただし、予算が限られている時には直接僕に連絡下さった方がいいと思います。



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