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ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団とムエタイ選手N

11/3
 文化の日。午前中は原稿と台本の直しをやる。サントリーホールへ。この秋、東京の音楽ファンから最大の期待をもって迎えられたミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の演奏会だ。この楽団はマーラーなどの名曲を世界初演した楽団であるとともに、ルドルフケンペとチェリビダッケという二大指揮者で戦後の楽壇をリードしてきた。僕は幸いにもチェリビダッケのコンサートは何回も聴いたことがある。最初の機会の時、驚いた。名曲「展覧会の絵」が真新しく聞こえた。新曲のようなのだ。そして、100人以上の一流の演奏者の綿密なアンサンブル!続いて聴いたシューマンの交響曲。つまらないと思っていた楽曲がこれほど豊かな楽想に紡がれているのだと驚いた。東京でチケットを取るのが不可能だと思うと、アジアツアーの時に香港まで演奏会を聞きにもいった。一生忘れないであろうチャイコフスキーの5番の交響曲は極限までテンポを遅くし、ひとつひとつの音符の魅力、フレ-ジングの素晴らしさを丁寧に披露してくれた。ミュンヘンフィルは、著名なカラヤンに率いられたベルリンフィルハーモニー管弦楽団と並ぶドイツを代表するオーケストラなのだ。むしろ、南の首都バイエルン地方の代表として音楽ファンの中には、ベルリンフィルよりも高く評価する人も少なくないオーケストラだった。しかし、偉大なチェリビダッケがなくなって、つまり偉大なリーダーを失いこの楽壇は輝きを失う。
 そこに登場したのがクリスチャンティーレマンなのだ。1959年生まれ。まだ40代という若さだ。ドイツの地方オペラなどで経験を積み出てきたのだ。僕はもうコンサートには30年以上も通いつめていて、19世紀生まれの、もしくは、20世紀初頭に生まれた大指揮者を山ほどきいてきたものだから、今の指揮者の器の小ささ、商業主義、おもねる音楽、軽い音楽にあまり興味を示さなかった。演劇が僕の芸術に関する興味の中心になったこともあり、どんどんとコンサート通いは減り、本当に素晴らしい演奏会と思える時以外はいかなくなってしまったのだ。
 ティーレマンは何回かオペラの来日公演の時にきいていたが、正直あんまりピンとこなかった。しかし、2003年にNHK交響楽団やバイエン国立歌劇場の指揮者として何回もきいた高齢なウォルフガングサバリッシュとウィーンフィルハーモニー管弦楽団との演奏会を楽しみにしていた。しかし、来日はキャンセル。代役がティーレマン。その時の素晴らしさ。ええ、何だこいつ!と思ったのだ。聞き慣れた楽曲を洗い直し音楽を組み立てていた。伝統を大切にしつつも、自らの音楽の芯をもっている。
 もう大指揮者はいないのだと思っていたのだが、ドイツのヨーロッパの文化は、こうして若く新しい大指揮者を生んだのだ。文化の厚みが生んだのだと思う。
 ミュンヘンフィルの音楽監督にティーレマンが2004年に就任した時に誰もが楽しみにしたものだ。どんな音楽を聴かせるのかと!そして、3年という時を経て満を持しての来日。
 今日はブラームスの交響曲第一番。そして、リヒャルトシュトラウスの「死と変容」と「ドンファン」。素晴らしかった。アンコールではワーグナーの「ニュールンベルグのマイスタージンガー」の前奏曲。ドイツオーストリア音楽文化の最高峰の演奏だった。
 会場にはなかにし礼さんや小泉前首相もきていた。ま、どうでもいいんだけど。素晴らしい演奏に心を打たれ、年齢のことも考えると、おそらく僕の人生の最後までこの新たな巨匠の音楽を聴き続けるのだろうな。その今日は第二回目だったんだなと思った次第。
 明日も聴く。あしたはブルックナーの交響曲第5番。2001年に亡くなったギュンターワントの死の直前の来日公演で取り上げられた大曲だ。僕は同じプログラムを2回聴きに行き、感動に打ち震えた。それと同じ曲。もうあれ以上の感動はないのだと思っていたのだが、楽しみにしている。
 夜は10月の芝居を観に来てくれたバンコクで出会った人たちを家に招いた。招いたといっても鍋の材料やビールなどは向こうが用意してくれた。僕はおいしいワインを出したり、ちょこっと料理を作ったり。
 楽しかった。特に嬉しかったのは夜11時過ぎに1年前にムエタイの現役から引退したナカワ君が着てくれたことだ。家飲みをした後、僕が大好きなバーにいきましょうと、残っていた連中と4人でバークローズド。その後で、ナカワくんと二人で駅前のバー・ポンドへ。なかわくんは高校を卒業してから直ぐにバンコクに渡り、向こうで人知れず、最高でも15万円のファイトマネーのために命を張って戦った男。タイで、マレーシアで何百という試合をしてきた男。カンボジア遠征では何回もその試合は全国中継され、日本よりカンボジアでの方が有名だった男。東南アジアで戦ったこの29歳の青年は僕にとって尊敬する人間なのだ。どこぞやの素晴らしい金と名声にまみれたファイターと違う。先日も忙しい中で芝居も観に来てくれ花まで出してくれた。
 僕がであったのはバンコクの日本人の若者が集まるバーというか居酒屋だった。バーに集まる連中の中でひとりだけ雰囲気が違った。何ものだよ?あいつと聞くと、ムエタイの選手で結構有名だと…。
 僕がバンコクに行く一つの楽しみはムエタイを観ることだけれど残念ながらナカワ君の試合は見たことがない。日本でも何回も後楽園ホールなどで戦ったことがあるのだが、芝居の本番や他の予定で実際の試合はみたことがないのだ。僕が演劇にのめり込んでいることを凄く面白がってくれてもいる。極限で戦った男なので、器がでかい。いつも笑っている。皆が帰った後も、朝まで二人で飲んだ。引退して1年で10キロ太ったといいながらも、でも再トレーニングして現役復帰も考えているんですよねと。
 バンコクで戦っている時、決して裕福でなかった。そんな過酷なことをしているのに恵まれていなかった。お金のためにやってるわけじゃないですし、名声のために戦っているのでもないと。戻ってきて普通の会社員をしているのだが、そりゃそんな過酷なことが出来た男だから、何をやらせてもキチンとできるのだろう。話していても馬鹿でないことも分かる。だから、なおさらだ。ファンになるのが当たり前なのが分かってもらえると思う。
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佐藤治彦 Haruhiko SATO

Author:佐藤治彦 Haruhiko SATO

さとうはるひこ Haruhiko SATO
経済評論家+α
詳しいプロフィールはこのブログのカテゴリーからプロフィールを選んでごらん下さい。経済や金融を中心に90年代初頭から活動してきました。40代初めにセミリタイアし今は本当にやりたい仕事だけを選んでやっています。また、演劇活動にも力を入れました。台本書きや俳優としての仕事などもお待ちしています。
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